『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』

記念すべき一本目の記事が原作について全く詳しくないジョジョ関連の映画になるとは、自分でも予想だにしていなかった。
たまたまつい最近観に行ったのが本作だったわけだが、さすがの脚本:小林靖子、大変気持ちのいい構成だったので、簡単に覚書を残す場所を作りたい、と思い至った。
元々、感想・雑記系のブログ開設は検討していたので、ちょうどよい機会だったとも言える。
しばらくは今まで見聞きしてきた作品の中から紹介したいものやまとめておきたいものを掘り起こす作業も含むかもしれないが、「ブログに書く」ということを一つの目的(タスクとも言う)に据えて、新しいものをインプットしていければ上々かなと思っている。


さて、本題。
本作の魅力を簡潔に表すなら「リアリティー・ホラー・ミステリーの融合」であると思う。
それ自体は小野不由美(小説家)など先駆者の多いジャンルと言えるだろうし、ホラーが日常の中の虚構であるのは当然のことではないか、と思われる方もいるだろう。
そうでなければ恐怖の演出などできない、身近であると思うからこそ怖いのだ、と。
ただ、本作において、そもそもの素地に「実写化」という大きな虚構がある。
主人公である岸辺露伴(高橋一生)は、対象者の生い立ちや過去を「書物」として読むことができるという、まったく現実的でない能力《ヘブンズ・ドアー》を有しているが、映画以前に放送されていた連続ドラマの中でも現実的な日常に溶け込む形で発動されていた。
人気漫画家という職業、取材からきっかけを作る流れ、日本的な怪奇現象の現実味、そして過干渉気味の編集者・泉京香(飯豊まりえ)の存在が、一見浮きそうな岸辺露伴の存在にしっかりと輪郭を与えていたのだろう。
読むだけでなく消したり書き足したりも可能であるという、ある種チートのようなこの能力を駆使しつつ、それでも簡単には解決できない様々な怪異や現象に抗う様が描かれたドラマの流れをそのままに、映画では時間軸と地理的舞台を広げ、文字通りスケールを大きくして展開される。
岸辺露伴の朧げな過去、そして江戸時代の謎の画家「山村仁左衛門」を紐解きつつ、現代のルーヴル美術館にある暗さ、闇のような部分にも触れていく、まさしく「暗闇に目を凝らす」ような面白みがある。
本作のキーとなっている「この世で最も黒い絵」に目を凝らす登場人物たちと同じように、我々もまたこの不明瞭でつかみどころのない過去と現象とルーヴルの暗闇に目を凝らしていた、ということに、鑑賞後はたと気が付いて、やられた、と思った。
現実味のない設定を現実的に描くだけでなく、鑑賞者にも作中の人物たちと同じ行動を取らせてしまう手腕には脱帽する他ない。
和製ホラーの持つじわじわ這い寄るかのような恐怖、実在するのではと思わせるほどリアリティーのある設定と、ダークファンタジー漫画の実写であるという要素を、違和感を持たせず現実世界に紛れ込ませる巧さ。
絶妙なバランスで混ざり合ったリアリティー・ホラー・ミステリーは、鑑賞者に薄ら寒い感覚を植え付けて余韻を感じさせ、またゆるりと後ろ髪を引いて絡め取ってくる。
もう一度観たい、明瞭な形を捉えたい、と思わせる良作だった。


付け足しになってしまうが、ドラマ同様映画でも、泉京香の持つ役割は大きかったように思う。
原作にはない完全オリジナルキャラクターでありながら、岸辺露伴と現実を繋ぐ役割を担う存在であり、また底抜けに明るく感情豊かである点で対となる存在でもある。
ときに空気が読めない描写もあるため「おバカキャラ」として安っぽくなってしまう危険性も孕んだ人物だが、彼女自身の過去や仕事への姿勢、教養の深さが見え隠れすることで厚みのある人物像が立ち上がってきて、どこまでも我が道を行く岸辺露伴すら揺さぶる重要なファクターとしてしっかり作用している。
未鑑賞の方には、本作ラストの彼女の一言で、岸辺露伴と共にぎょっとしてほしい。
あの一言に、そしてそれを受けた岸辺露伴の返答に、泉京香の、ひいては小林靖子が形作った「岸辺露伴」という映像作品の、底知れなさが表されていると思うのだ。



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